登場キャラクター
※記事があるキャラクターのみ
名前変換フォーム
※名前変換しなくても読めます
元帥がタバコを吸う日
寒い。陽が照っていて領地の外は灼熱の暑さの夏だと言うのに、魔壊帝国は今日も肌寒かった。だと言うのに、魔壊帝国軍元帥であるイラ・アンリは(植物が豊かであるという比喩ではない)青々とした庭に面したバルコニーにて煙をふかしていた。肺も無いというのにニコチンやタールの含まれたそれを、まるで普通の人間のように楽しんでいる。いや、楽しんでいるのだろうか。彼の顔は単眼をマスクで覆い眉もなければ口もカマキリのような形なのでよくわかりづらい。
そのうち煙が不味くなってきた二本目を消火し、箱から取り出した三本目に火をともそうとしたとき。
「あ、イラ様!」
「……なんだ」
やけに背の高い化け物に見つかった。
化け物は魔壊帝国の魔壊帝側近執事たるトルース・デ・タドナカである。彼は一仕事終えて城内の見回りをしていたところたまたま通りすがったのだ。いつものようにニヤニヤと人好きのしない嫌味な顔で近付いた彼は、イラの手に持たれた着火前の筒とライター、上着の胸ポケットに入った箱を見て少し驚いた顔を見せ、すぐにそれらをすべて没収した(執事と元帥という一見アンバランスな立場なので不敬に思えるが、魔壊帝国内では同じ身分であることは補足しておこう)。没収したものを文字通りの虚無空間に放り投げた後、迅速にテレパシーで同僚たちに連絡を飛ばす。
『皆様、イラ様が喫煙してますよ』
これだけの、ほんとうに短い連絡。だと言うのに、同僚たちは即返信を飛ばしてくる。
『マジ⁉️ とりあえず没収しといて! すぐ行く!』
『ちょうどこちらも書類片付けたので向かいます』
『おい、このテレパシー回線我も居るんだぞ』
自分も含まれている回線で自分のことを話題にされることにイラは少しの羞恥を覚える。だが、なんとなく肩が軽くなったような気がして、寄っかかっていた欄干から身を離した。
数分後。「とりあえずいつもの場所に行きましょうか」と連れて行かれた部屋には既に、魔壊帝国料理長のMs.ティック・オプティブと宰相アイドゥがソファに座っていた。まったく、こういう時だけは集まるのが早いのだから、とイラはぼんやり考えた。けれども、あまり言うことを聞かない彼にしては珍しく促されるまま空いている席に着く。テーブルにはあの短時間でどう用意したのか、イラの好きな匂いのコーヒーとそれに合う菓子類が並べられている。トルースにブランケットを膝に掛けられた後、マグカップを手に取り口にした。液体は煙と同じくどこかわからない場所に消えていく。
「なんか久々だねえ、みんなで集まるの」
静かだった部屋にさくりと菓子を食べる音が響き始め、Ms.ティックはつぶやいた。彼女は手の中にホットミルクが入ったマグカップを持っており、時々口にしては「熱っ」と小さく悲鳴を上げている。
「ええ、そうですね……最近は妙に忙しかったですから」
「全く、内勤の僕まで外に駆り出されたんだよ……もう……戦うの下手だから嫌なのに……」
同調するようにそれぞれが愚痴をこぼす。トルースに至ってはいつもの慇懃無礼な丁寧語を捨て、完全に素が露呈している。彼は甘いチョコレートを食べながら同じく甘ったるいホットココアを飲んでいる。あんなに甘いものばかりで飽きないのだろうか、と隣に座っていたアイドゥは感じたが、まぁ人それぞれだしな……と思い口には出さない。自身も甘酒を飲みながら羊羹を頬張っているということを棚に上げていたので。
思い思いに適当に喋り、適当に菓子をつまみ、飲み物がなくなれば各々が自分で入れに行ったりして、やがて皿の上に何もなくなった頃。あまり喋らず時折肯定していただけのイラがうつらうつらと船を漕ぎ始めた。
「イラ様、眠くなってきましたか?」
「……うむ」
「寝ても良いよ! また夕食の時に起こすから!」
「ワタクシたちも居ますからね……」
「……ありがとう」
感謝の言葉を述べて少し経ち、彼は静かな寝息を立て始めた。
「まったく、この人は素直じゃないんですから」
「まーいいじゃん! 皆で休めるきっかけになるし」
「そうだねえ……」
イラを起こさないように三人は小さな声で会話する。
ここで、少しだけ彼らの話をしよう。彼ら、「旧人類の感情」は元々人類だったのだ。今は化け物のような姿をして、姿から連想されるように人類を殺しているのだが。
件のイラの元となった人類は軍人である。彼は一般的な軍人たちと同じく、基本自宅に帰れず家族の温もりに触れる機会が少なかった。命のやり取りが行われる過酷な戦場にたち、弱みを見せず、立派であることが彼の誇りだった。
だが、怒りのまま殺戮を繰り返すだけの化け物になってから、彼は非常に不安定になる。新人類たちが許せない。だから、壊す。単純な話で、納得してはいるものの、自分がそうしたいと思っているのにも関わらず、彼は善性を完全に失うに至らなかった。殺すことに罪悪感を抱けるままであった。
故に、彼はストレスが限界まで溜まると暴走し、しばらくすると罪悪感から自害し、魔壊帝により再召喚をされる、というのが普通になっていたのだが。
ストレスが溜まってきたある日。ふと、新人類が持っていたタバコの箱を持ち帰っていたことを思い出し、バルコニーで楽しんでいた。しかし、Ms.ティックが飛んできて健康に悪い嗜好品を没収されて他の二人も呼び出され三人がかりで甘やかされた。けして彼の軍人としての誇りを傷付けるようなものではない。ただそばにいて一緒に話し食事を共にし、最後は一つの部屋の中で寝る。たったそれだけの甘やかしを彼は受けた。
それだけのことが、彼にとっての救いとなる。目を覚ますと安心感からか抱えていた苛立ちや罪悪感が薄くなっていることに気づき、相手をしてくれた者たちに感謝をし、また殺戮へと気持ちを切り替えることができた。彼は素直にうまく感謝を述べられるような性格ではないので、他の三人にうまく伝わったかはさだかではない。だけれども、彼が煙をくゆらせることが、口下手な彼の一緒におだやかな時を過ごしてほしいという合図になり、仲間たちはそれに付き合ってくれる。彼が一人で抱え込み暴走することは、もう、無い。
「……イラさーん、お夕飯の時間だよぉ~」
心地良い声が聞こえる。イラは導かれるまま目を覚ます。
「……ああ、ありがとう」
いつの間にかソファに横たえられていたらしく、ずいぶんしっかり寝てしまっていたようだ。鼻腔(鼻の穴があるわけではないが)をくすぐり食欲を刺激する匂いに、今日はどんな料理なのか期待しながら起き上がった。
彼らは非常に歪な関係である。一度領地から出れば躊躇いなく新人類を殺すし、普段からこんなに仲が良いわけではない。
だが、少なくともイラ・アンリにとっては、素晴らしい仲間で愛おしい家族なのである。